菅原第3回生き方の多様性

たいへんおまたせしました!インタビュー第3回目は「生き方の多様性」というタイトルでお届けします。2回目のインタビューでは、ブッシュマンとの出会いについて(そこにいたるまでのさまざまな経緯もふまえつつ)お話していただきました。今回は、ちょっと短いのですが、ブッシュマンの研究から生き方の多様性を語っていただきます。
*このインタビュー記事は、書きおこし原稿(37,876文字)をもとに、院生とホームページ担当者が編集しました。事実関係については先生に確認していただきましたが、タイトル、構成などは担当者の責任のもとに編集しています。

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院生
(2回目のインタビューの最後に、ブッシュマン研究との出会いについて質問し、菅原先生から「それは偶発的な出会いっていうことや(笑)」)と答えをもらったことに対して)
わかりました。まぁそこまでが、まぁ一番、文化人類学っていうか、人類学を始めるきっかけと、まぁかつ、今まで続いているブッシュマン研究についてなんですけれども、まぁこの後、今後、どんなことに対してさらに力を入れて取り組んでいきたいかってことに・・・

ブッシュマンの研究から生き方の多様性を語る

菅原
 そうやなぁ・・・ちょっとブッシュマン研究について、補足っていうのかな。もうはっきり言うと、私にとって、ブッシュマンの人たちとの出会いというのは、わが人生において最良のことだったな。それはどんなに強調しても強調しすぎることはないというのは、絶対言っておかなきゃいけない。どんなにこの人たちが素晴らしいのかということは、まぁ私のかいたものを読んでもらうしかないんだけれども、端的に言うと、やっぱり彼らが無文字社会に生きてきたということが、ありとあらゆる局面で私の憧れを掻き立てる。それはつまり、彼らにとっては、私たちが当たり前としているような、コミュニケーションの媒体であるとか、社会であるとか、制度、歴史、そういったものが一瞬一瞬の口頭言語のやりとりでしか存在しない。そのことが、私たちが忘れ去っている人間の本当の可能性というものをいつも強く思い知らせてくれる。そこで、端的に思うことは、人間が生きることの尊厳みたいものがあるかと思うんだけど、人生が生きるに値するっていう感覚というのは、私はやはり、生き方の多様性ということだと思うんだよね。
 例えば、人類学というのはこういう考え方があると思う。人類学というのは、人間の普遍性を探究する学問だから、もし人類学に理論があるとしたら、人間は普遍的にこういう性質を持っているとか、人間の社会にはこういう普遍的な構造があるとか、そういうことを解き明かすのが人類学だと。なので、文化人類学者は、文化の多様性ばっかり強調して、その文化の多様性を記録することに躍起になっているけど、そんなことをいくら重ねても人類学の理論の確立には役に立たないという考え方。特に進化論的な人類学というのを追求する人は、文化人類学がひたすら多様性におぼれる、ということを批判するんだよね。でも私は、それはそうじゃないと思っていて、というのは、もしこの地球上をさ、同じような生き方と言うのが覆い尽くしたら、それこそが地獄だと思うんだよね。つまり、地球の全人類が似たような、おんなじような生き方をするってことに直面したら、生は根本的に輝きを失うと、カラハリに行けば行くほど思う。なので、私は、歳をとればとるほど、ものの考え方がシンプルになってくるんだけど、今、強く、正直に誤解を恐れずに言えば、グローバリゼーションというのは悪やで、ということやな。グローバリゼーションは本当に、人間の生をつまらなくしてしまう。一昨年くらいに京大新聞に書いたことだけど、私はグローバリゼーションなんていう言葉よりも、もっと切実なのは「生のハリウッド化」という言葉の方が自分にぴったりとくるんだけどね(注1)。

 

 私が1982年からずーっと知っていた男が、多分2009年だと思うんだけど、その男は長く結核を患っていてね、私よりちょっと年長かな、たいした歳でもないのに死んじゃって、そのお葬式に列席したのね。それで、本当にイヤーなショックを受けたんだけど、今、再定住地には女たちの讃美歌隊というのがあってさ、完全にキリスト教で葬式をあげて、墓穴に棺を下ろして、人々が砂でどんどん墓穴を埋めていく間中、女たちがずーっと賛美歌を歌い続けるんだよね。私はそれをビデオカメラで延々と撮影しながらさ、また悔しいことにその讃美歌のメロディが結構美しく聞こえたりするんだけど、でもその時、強烈に「あーやだなー」て思ったのは、この地球上のいたるところでさ、みんなが西洋音階で賛美歌を歌って人間が弔われているとしたら、それってなんか息の詰まるほど、閉塞感を感じることだなぁ、と強く思って。やっぱり、この西洋的な文化が世界中を覆い尽くしたっていう、この歴史、人類史っていうのは、取り返しのつかないことかもしれないけど、そのことに永遠に抗い続けるという、そういうモティベーションがやっぱり人類学の一番根っこのところにあるんじゃないかな、と。そんで今後やるべきことか・・・・・・。

第4回へ続く

 

注1:「生のハリウッド化に抗えるのか?」というタイトルで、2009年12月16日付け京大新聞に掲載されました。その小論は、こちらでご覧になることができます。