2013年7月に院生2人が石井美保先生の研究室にお邪魔して、人類学との出会いやこれまでの研究経緯について伺ってきました。第2回目は「フィールドワークと書くこと」というタイトルでお届けします。
*このインタビュー記事は、書きおこし原稿(約3万文字!)をもとに、院生とホームページ担当者が編集しました。事実関係については先生に確認していただきましたが、タイトル、構成などは担当者の責任のもとに編集しています。



「ハードコアな人類学」をやりたかった

院生
博士ではどのような研究をされたのでしょうか?

石井
 博士課程1年生のときは、タンザニアでの調査を続けながら、修士論文を投稿用の論文にまとめなおすという作業をしていました。
 その頃、何となくモチベーションが上がらなくなってしまったんですね。このままここで調査をしても、自分のなかでこれ以上、あまり深いものがでてこないなという気持ちになってきたんです。私が調査をしていたタンザニアのラスタファリ運動は歴史もそれほど長くなくて、自分の研究をどの先行研究にぶつければいいのかも見えてきませんでした。どうしてもカルチュラル・スタディーズ系の研究になってしまう。カルチュラル・スタディーズ(注1)系の思想にどこか共感できず、もっと「ハードコアな人類学」をやりたかったんです。
 そこで、フィールドを替えたいと思い始めたのですが、そのお話をしたときに田中先生は、ご本人は絶対覚えてらっしゃらないと思うんですけど、「フィールドを替えるなら指導しない」と言われました。どこまでの本気度だったのかはわからないのですが、とにかく替えないほうがいいというお話でした。自分としては違う場所に行ってみたいという気持ちがありましたね。
 結局、博士課程の2年目で、フィールドをガーナに変更しました。ガーナに決めたというのは、あまり深く考えずに。行ってみないとわからないことってとても多いと思いますね。いまの修士課程の調査計画ゼミでは、調査に行く前にみんなとても詳しく調べて発表していますよね。それはそれでいいのかもしれませんけど、とりあえず行ってみないと感覚的に何がでてくるのか、何に自分が興味をひかれるのかはわからないと思いますね。こういう文献を読んで、こういう研究をしたい!と決めてかかるのではなくて、私の場合は、行ってみて探してみるというやり方をいつもしているように思います。
 行ってみてぐるぐる周っているうちに、なんとなく自分の興味がわかってくるんですね。だから文献研究は、調査地に入った後からだからこそ没頭して読めるものがあると思います。興味があるからこそ、読み込めるものがある。理論的なものは知的興味で読めるのですが、現地に関する民族誌は感覚的に、「あ、これはあれのことだ」というイメージがないと読みにくいのかもしれないですね。
 最初は、ガーナの首都のアクラに滞在しながら、そこで出会った人たちに何となく宗教的なことについて訊ねたりしていました。その頃、たまたま日本大使館で警備員をしていた若い人と知り合って、その方が現地の宗教実践に詳しくていろいろな場所に連れて行ってもらいました。ハーバリストのところとか、ペンテコステ派の教会とか。その方の故郷が東部州のスムという町だったので、その近くが多かったですね。そうした中で、のちに博士論文を書くことになるオブリティマ村をはじめて訪れました。
 その村のことも、住み始めてみないと面白いかどうかなんてわからないじゃないですか。まず二週間は住んでみよう、二週間ここに住めたらもっと調査していこうと思いました。その村での調査が、結局博士論文になりました。





「精霊が実際に見える」経験

院生
後に『精霊達のフロンティア』にまとめられる研究ですね。その中で「精霊が実際に見える」という経験についての記述が特にとても興味深いです。

石井
 その頃、いわゆる「ハードコア」な人類学をやりたいと思っていて、調査地にはエドマンド・リーチの『高地ビルマの政治体系』(注2) を持って行きました。ビルマという場所だし、時代もずいぶん違うんですけど、その本は良いんですね。何が良いかというと、フィールドワークですべきことが民族誌の中にコンパクトにピシっとはいっているんです。すごく論理的ですしね。教科書のように持っていました。それを見ながら、あれが足りないな、もっとこれを調べよう、という風に。
 博士課程の調査をするときに、また(笑)、田中先生が「調査地の人たちの箸の上げ下ろしまでわからなくちゃいけない」「とにかく数えろ」というアドバイスをくださいました。「数える」っていうのは、イギリス社会人類学のよくも悪くも特徴だったんじゃないかと思いますね。植民地行政官的な調査の仕方だと思います。とにかく悉皆調査をする。人数、年齢、もっている畑の広さとか、牛の数とか、何から何までを把握しようとする。それはまさに、’Writing Culture’以降批判されているようなやり方ですね。でもそれはね、やっぱりそれをやった方がよりよく理解できる側面があることは確かだと思います。修士論文では全くやらず、博士論文で気をつけてやったことでした。
 聞き取りに関しても、最近は「聞き取りの権威性」などが批判されてきて、一切記録を採らず、記憶を頼りに書いたりするケースがありますね。あるいは日記みたいに書く。そういうやり方が取りこぼしてしまう側面というのは、やはりあると思います。とりわけ、経済的な側面ですね。彼らがどういう経済活動をしているか。そういう部分は、日常生活をともにしたり、インタビューをするだけではなかなかわからない。やはり、数で示すことをしないと、差異や構造が見えてこない。そういう基底的な関係性の理解があった上で、語りから見えてくる、もう少しファジーな問題系というものがあると思います。
 基本的に、呪術や宗教実践をテーマにしていたのですが、それは地域社会における土地の問題と密接にかかわっていました。宗教的な事柄と、土地をめぐる問題が絡まりあっているんです。ガーナでも、いま調査をしている南インドでもそうですね。土地をめぐる問題は、まさに経済的問題ですよね。たとえば土地改革、土地の相続や売買など。土地の利用や相続には、親族関係も深くかかわってきますね。そういう事柄と抱き合わせにすることでしか、宗教実践やその変容を理解することはできないと思うんです。そういう基底的な事柄への理解があった上で、精霊祭祀のアクチュアリティみたいなものへの理解ができてくるのではと思います。
 たとえば精霊であったり小人だったり、フィールドで自分にとっても感受されるものとして現れてきたとして、そのものの存在だけを取り出して議論することは、おそらくあまり意味がないと思いますね。その存在の周りに張り巡らされている社会経済関係、歴史的変遷であったりとか、そういうものを含めて分析・記述してはじめて、理解できる。腑に落ちるというか。
 卒論のときから継続している問題意識でもあるのですが、人にとって現実がいかに構成されるかという問題は、単に知覚だけの問題ではないと思います。その土地に住んでいる人たちのリアリティ――アクチュアリティというか、行為的現実感というものを理解するためには、ある程度自分も、歴史的な背景とか、どうやって生活しているかとか、全体的なハビトゥスみたいなものを身につけていく中で、それを通して〔自分にとって〕実存するとは思えないような存在への感受性というものが生まれてくるんじゃないかなと思います。
 『はじまりとしてのフィールドワーク』(注3) という本に書いたんですけど、エヴァンズ=プリチャードは、自分はアザンデの土地にいた時には妖術を信じていたと述べていますね。『アザンデの世界』(注4) には、妖術が飛んでいるのを見かけたというくだりもあります。エヴァンズ=プリチャードは妖術が飛んでいくのをみて、とっさに槍をもってそれを追いかけたというんです。それってすごく反射的、身体的なふるまいですよね。懐疑的にとらえるのではなくて、「あっ、妖術だ!」と思わず追いかけてしまう。そういう風な身体感覚というのが次第に生まれてくると思うんですけど、そういうのは全体的な背景とか基盤への理解があってこそ、できてくるのかなぁと思います。

院生
実際の小人・精霊の知覚はどのようなものだったのでしょうか?

石井
 どうなんでしょう(笑)。はじめは、下宿先の司祭さんが、フィールドワークを始めてまだひと月くらいのときに、「小人に会わせてやろう」ということで最初に〔小人に〕お会いしたんですけど、その時はとても現実のものとは思えなくて、スルーしてしまったというか。自分が納得してないから、ちゃんと記憶に残らないんですね。でも、フィールドワークを続けて十数ヵ月後にまたお会いした時には、「あぁ、やっぱりな」という感じであまり驚かないんです。それは、相手が変わったとか、見えるようになったというものではなくて、私の側の現実認識の変化と言ったらいいのかもしれません。自分としては、精霊が見えること自体はそれほど不思議なことだとは思いません。腑に落ちる、という感覚です。





フィールドワークの技法

院生
フィールド調査の技法について教えてください。先ほどリーチの本が教科書になったというお話がありましたが。

石井
 基本的に、フィールドワークは個々人の技量によることが多いのではと思いますね。人・環の人類学はまだ教えてくれるほうだと思います。イギリスの人類学では、調査項目を事前にかなり絞り込むらしいですが、そのほうがすごく効率的だと思います。細やかな指導、というのは、私は受けてこなかったような…今はあるんでしょうか…?(笑)
 現地でしか手に入らない資料というものが必ずあります。現地の図書館に入っている本、例えば現地の郷土史家が書いた本や歴史資料ですね。そういう本は、私は現地で読まないとなかなか頭に入ってこないんです。フィールドワークって基本的にずっと外に出ていて疲れるので、たまには調査地でも屋内に引きこもって資料を読み込むとかして、クールダウンしてもいいでしょうね。
 博士課程のフィールドワークは長期で行ったのですが、その間に一度レポートを提出しなければなりませんでした。最初は章立てみたいな感じで、土地関係・民族間関係などを調べて国際郵便で送りました。田中先生は本当に送ってきたと驚いてらしたみたいです(笑)


院生
長期の調査をされたとのことですが、そのとき女性ということは役立ったり問題をうんだりしていたのでしょうか。

石井
 今は、たいていどこでも行きやすくなっていると思います。女性のほうが地域のコミュニティに入り込みやすいというのはよく聞く話ですね。私の友人でも、アフリカ研究者は元気な女性が多いです。女性の利点というのは、あまり警戒されないということと、あらゆる人に助けてもらえるというのも、フィールドによってはあると思います。私がいた熱帯アフリカでは女性たちがとても元気で、おばちゃんたちが「大丈夫なん、あんた?」みたいな感じで助けてくれました。若者も結構助けてくれました。女性で得したと思う部分が多いですね。男性はフィールドワークをすると痩せるけど、女性は太る人が多いというのもよく聞きますね(笑)。したたかさというか、柔軟性が女性にはあったりするのかもしれないですね。
 私自身は、女性としてフィールドワークはやりやすかったです。もちろん一人で行きづらい場所とかはあるんですが、女性だから危ない目にあったということは、私の場合は今まではありません。女性のほうが「娘として」みたいな感じで受け入れやすいのかもしれませんね。特に女性のネットワークが強い地域などでは、入り込みやすいということがあるかもしれません。逆に、男性の領域からは排除されてしまいそうですが。
 私の場合は、ガーナの村で精霊の社に住んでいました。そこは、毎月生理になるとその間敷地から出て行かないといけないんですよ。穢れているということで、食事も別にしなければなりませんでした。あるとき、もう面倒になってきてしまって黙っていたことがありました。黙っていたらわからないと思ったんですね。そうしていると、司祭さんが「精霊の働きが良くない。それは君が〔穢れている状態なのに〕ここにいるからだ」と言うんです。ケガレを祓うために「ヤギを供犠しなさい」と言われました。ヤギと鶏、私が買ってきたやつを…。もう、ごめんなさい~みたいな感じでした。


院生
HPを拝見すると、石井先生がフィールドで書いたイラストやきいた寓話などが載っています。とてもいいなぁと感じました。そのような表現の仕方と、論文をつくるということの関係について少しお話いただけませんか。

石井
 論文に書くことと、日々感受する出来事は必ずしも同じではないですよね。本にする場合は、そういうのも割と入れ込めるのですが、博士論文は何というか、ドライなものじゃないですか。フィールドノートをつけることも大事なんですけど、絵を描くと対象の詳細がすごく自分の中で、なんというか、腑に落ちる、身体的にわかる、主観的にわかるということがあって。自分がじーっと座って絵を描いていると、みんな「見せて見せてー」って寄ってくるんですね。それも面白いですよ。
 フィールドワークで、何であんなに長いこと現地にいるかっていうと、自分の身体感覚をチューンナップするためのように思います。現地の人たちの感覚に近いものに。菅原先生もどこかで書かれていたと思うんですけど。私はガーナにいたとき、すごく空気が薄いような感覚がずっとありました。それは暑さとも関係していたのかもしれませんけど。みんな暑いのに、何でこんなに元気に動けるんだろう、うらやましいなあと。自分にとっては少し無理な生活もしてみて、少しずつチューンを合わせていくことで、さっきの小人の話じゃないですけど、だんだんと見え方が変わってくるのかもしれません。なんというか、「現地の人の見え方が理解できる見え方」になってくるような感じです。




院生
チューンナップの話が大変興味深いです。国内フィールド、海外フィールドでの違いはあるのでしょうか。日本国内はどこでも似たような暮らしがされています。

石井
 それは言語の影響も大きいと思いますね。私も日本でフィールドワークをしてみようと思ったことはあります。実際にしたのは卒業論文のときくらいなんですけど、私にとって国内フィールドは、あまりエキサイティングな感じがしませんでした。なんとなくですが、わかってしまっている…というよりも、わかっていると思い込んでいるんですね。すごくがんばって何か発見しようとなるとわからないですけど。あと、距離感がとても難しいですね。自分の日常で人類学的に重要なことがあったとしても…。
たとえば、私は下の娘を東京で自宅出産しました。上の娘はオランダで自宅出産したんですけれど。その過程は人類学的にとても面白かったです。助産師さんとのやりとりとか。臨月近い頃に妊婦さんみんなで高尾山に登ったりとか(笑)。とても面白かったんですけど、それをあらためて分析しようとしたとき、自分と事象との距離のとり方が難しいような気がします。日常的な日本での経験が、海外でのフィールドワークの際も基盤になっているというのは確かにあると思うのですが。

院生

ガーナにはどのくらいいらっしゃったんですか。

石井
最初に行った時は8カ月くらいだったかな、3回生のときに補足調査をしました。



筆力と読むこと

院生
論文を書くということについて聞かせてください。

石井
 個々人がこれまでどれだけ書いてきたか、読んできたかによると思うんですけど、フィールドワークでどれだけいいデータをとっても、それを生かせる論理的な書き方ができないともったいない結果になってしまう。そうした事例は少なくないと思いますね。論文を書くというのは、99パーセントくらいが職人技だと思います。緻密に、論理的に書くということですね。残り1パーセントぐらいが直観というか、神業というか(笑)。何かがのりうつったような感じ、感性ですね。リーチなんかは、すべてが職人技という感じもするんですけど…。

院生
その99パーセントの方で、人類学を志し、民族誌を書いていく学生へのアドバイスをいただけませんか?

石井
 そうですね。まずは読むことだと思いますね。先行研究の理解のためには、「中くらいの文献」と、もうちょっと「大物的な文献」、どっちに偏ってもだめだと思うんです。「中くらいの文献」というのは、自分のテーマに密接にかかわっている民族誌だったり、歴史研究だったりです。私の場合は呪術とか妖術とか、あるいは精霊憑依などの文献です。それを過去から現在までおさえるのは当たり前ですが、それだけでは、それらの先行研究を超えていくことはできない。
 そのときに、もうちょっと普遍的な問題を扱っている文献――古典にせよ、現代的な文献にせよ、そうしたものを読み込んでいくと、書くものの深みが違ってくるんじゃないかと思います。菅原先生の場合は現象学や相互行為論、田中先生の場合はセクシュアリティやジェンダー関係、暴力論などでしょうか。
 そういう風な、より普遍的なテーマを自分の中にもった上で個別的なテーマに挑んでいるひとは、何というか、ブレないですし、書いているものも一貫していると思いますね。主張があるというか。単なるレポートではなくて、これを言いたいがためにこれを調べているんだというところが明らかになっていると思います。
 逆に、大きな議論ばかり並べていても不安定になってしまう。事例とのギャップが大きすぎるんですね。こういうケースも少なくないと思います。大きな議論と事例の間がゴソっと抜けているというのも、よくないでしょうね。事例とのバランスがとても大切です。事例が何のためにあるかというと、いわゆる有名な偉い人が言っていることの検証のためではないですよね。例えばメルロ=ポンティだったらメルロ=ポンティでもいいのですが、その人たちが述べていることが、こんな日常の、この出来事を通してみたらこういう風に捉えなおすことができると。事例を通してそれに新しい光を当てるような形で使えるといいと思いますね。




院生
石井先生の場合「大物」の方の文献はあるのでしょうか。

石井
 研究を進めながら浮かび上がってきたのですが、最近はヴァイツゼッカー(注5)というドイツの神経生理学者とか、木村敏さんだったりですね。木村敏を通してメルロ=ポンティからも影響を受けていますし、バトラーも自分の中ではすごく重要ですね。ヴァイツゼッカーも木村さんも、精神疾患をたんなる個人の頭の中の疾患と捉えるのではなくて、主体と環境の出会いから生じるものとして捉えています。出会いが主体を変容させていくという考え方ですね。最近はオートポイエーシス論にも関心があります。これらは卒論のときの漠然とした興味ともつながっています。
 でもフィールドにいる間は、「中ぐらいの議論」を相手にしたほうがいいかなと思いますね。いまの人類学のアクチュアルな議論の展開をみて、どのあたりに切り込めるかという観点で事例を見ていった方が集中できると思うんです。どういう風に切り込むかと考えるときに、単に斬新だからとか、こういう風にすれば批判できるから、という視点だけではなくて、その大きな根拠となる思考のよすがとして、普遍的問題関心というものがあると思います。
 私の場合は、博論のとき最も大きな論敵はコマロフ夫妻(注6)でした。彼女たちは、アフリカの妖術研究のなかではすごい権威なんですね。彼女たちは妖術研究の新しい流行を作っていて、American AnthropologistとかAmerican Ethnologistとかに毎号のように巻頭論文が載っているような感じだったんですけど、私にとっては妖術や呪術を大きなモダニティを起点にしてしか見ていないように感じられたんですね。そうではなくて、より細やかでユニークな政治経済的側面との関連を見なければならないということがあったんです。
 フィールドに行く前に、先行研究のレビューをすると思うんですけど、そのときはきっとあまり頭に入ってこない部分も多いと思います。理論的には理解できても、身体化された理解が難しい。現地に行ったときに、一度理論的なことをすっかり忘れてしまうくらいの現地との関わりというものがあって。「一体私今まで何読んできたんだっけ?」みたいな経験があるんです(笑)。そこで、自分が関わっていきたい事例が改めてわかってくるようになって、文献についても、これまで気づかなかった側面が気になってくる時があって。これまで鵜呑みにしていたけど、そうじゃないじゃないかと思うことも多いと思います。
 日本にいて読んだときには理解していたつもりでも、現地にいくと、「全然違うじゃん」ということがありますよね。現地ではじめて、自分として何が批判できるかがわかってくる。最終的には、批判を際立たせ、事例をいかに表現していくかという段になったとき、またさらに、それまで全然読んでこなかった文献とか、自分の議論を際立たせるときに使うべき援軍のような論文をつかっていくということが必要になると思います。(3回目につづく)



注1:1970年代にイギリス、バーミンガム大学現代文化研究所(CCCS)においてはじめられたポピュラー・カルチャー研究のスタイルをさす。階級、人種、ジェンダーなどの区分によって既成のアカデミズムから排除されてきた文化を、そのような区分と抵抗の場とし、人類学からとりいれた民族誌的手法によって研究する(日本文化人類学会 2009 『文化人類学事典』丸善)。
注2:Edmund Leach 1954 Political systems of highland Burma: a study of Kachin social structure Harvard University Press. 1987年弘文堂より日本語版が刊行された。
注3:2008年世界思想社より刊行。李仁子・金谷美和・佐藤知久編。ジンカン文化人類学分野出身の若手研究者たちがフィールドワークでの体験をもとに綴った論集。
注4:Edward E. Evans Pritchard 1937 Witchcraft, Oracles and Magic Among the Azande. Oxford University Press.2001年みすず書房より完訳版が刊行された。
注5:Viktor von Weizs¨acker. 人文書院より翻訳書『生命と主体』(1995)などが刊行されている。
注6:John & Jean Comaroff. Of Revelation and Revolution: The Dialectics of Modernity on a South African Frontier, Vol. One and Two(John & Jean Comaroff 1991,2009)など。