田中第4回セクシュアリティについて


第4回目は「セクシュアリティについて」というタイトルでお届けします。国立民族学博物館に就職後、田中先生の関心は、一気にセクシュアリティの研究へとシフトしていきます。今回は、セクシュアリティ研究へと関心をむけていく経緯についてお話していただきました。


*このインタビュー記事は、書きおこし原稿をもとに、院生とホームページ担当者が編集しました。事実関係については先生に確認していただきましたが、タイトル、構成などは担当者の責任のもとに編集しています。

インタビュー第3回へ

帰国へむけて

田中
 さて、帰国の準備です。LSEのフラットを出て、最後はスシラSushila Zeitlynという同僚の家に住むことになります。彼女自身はラージャスターンの巡礼で博論を書いていました。また彼女の義理の弟David Zeitlyn(注1)も人類学をやろうとしていました。いまはオックスフォード大学にいるみたいですが、5年ほど前に仕事で連絡を取ったことがありましたが、もう覚えていませんでした。彼女の家では、まだ有名になる前のDaniel Miller(注2)夫婦、それから外交官の妻について研究をしていたAnnabel Blackなんかにも会いました。
スシラの家に滞在していたときイギリス人のお風呂について面白いエピソードを聞きました。大変印象に残っているので、講義でも紹介しています。あるとき彼女にインドでのフィールドワーク中なにがいちばん欲しかったか、と聞いたら、英国風の浴室だというのです。イギリス人もシャワーがあれば十分と思っていたのでびっくりしました。彼女はこんな風に説明しました。「イギリス人のお風呂は湯船でゆっくり入って体を洗うのが伝統的で、シャワーなんか使わない。わたしたちの家にシャワーがついたのはつい最近のことだ。フォークランド戦争のとき友人のアルゼンチン人をかくまっていたことがある。そのとき彼女に言われたからシャワーをつけた」と。つまり、それまではシャワーなしで、湯船で石けんを使って体を洗っていたというわけです。泡だらけの体はどうするのかと聞くと、バスタオルでふき取るのよ、と。イギリス滞在最後の最後でまた大きな発見です。イギリス人は食器を洗剤で洗った後すすがないので有名ですが、それと同じじゃないか!とわたしは興奮したのを覚えています。

女性のオナニーへの関心

院生
日本に帰ってきたら博論のテーマとは別に何かやりたいと思っていたことはあったんですか?

田中
フェミニズムの取り扱っているジェンダーとかセクシュアリティはずっと関心を持っていた。いつからかはちょっと分からないけど、Feminist Studiesとかはいつも読んでいました。その中でこの3つはやりたいなと思ったテーマがあった。ひとつは女性のオナニー。留学直後に入った大学の寮にはSpare Ribという名前のフェミニスト関係の催し物やエッセイが載っている雑誌が置いてあった。それをたまたま読んでいたら、女性のオナニーのことが載っていたの。それはバイブの広告で、「バイブこそが女性の自立への第一歩だ!」みたいな感じで。でも明らかに女性の自立という名目でバイブを売ろうとしているのがバレバレの広告だった。

院生
まあ、広告ですからね・・・

田中
それがちょっと面白いっていうかね。つまりなんかこう、表向きは女性の自立とかなんやかんや言っても、ほんとかいなっていう、売れたらいいんじゃないか、っていう、そういう商売人の醒めた視点。欲望に(女性の自立のためといった)理屈は要らないよ、とも読めるメッセージ。これが気に入った。だから、一つには、女性のオナニーについてちゃんと調べてみたいと思った。自立志向をくすぐりながら売ろうとする。あるいは、ホントはフェミニズムなんかどうでもいいんだけど、そういう風潮にのって女性の性欲を煽っているというか、正当化しているというか、そういう下心にわたしはいつも魅かれてしまう。

レズビアンSMの世界

田中
 2つ目は、これは翻訳がでているけど、精神分析家のジェシカ・ベンジャミンThe Bonds of Love: Psychoanalysis, Feminism, the Problem of Domination(『愛の拘束』)っていう本のもとになった同名の論文にレズビアンSMについての論争が出ている。これはFeminist Studiesに掲載されていた(注3)。レズビアンSMがなんで論争なのかっていうと、フェミニズムの文脈ではジェンダーというか女性と男性という対立が前面に出ているが、それだけでなく、セクシュアリティの問題、すなわち同性愛者たちがマイノリティとして市民権を要求し始める。ヘテロのフェミニストたちもこうした動きを支持するわけです。ところが、レズビアンのSMなんかは想定外だった。79年から80年ごろに、レズビアンSMをめぐって論争になる(注4)。いくつか本が出ます。まずcome outするのがレズビアンでSMもやっている人たち。それに対してちょっとSMはおかしいんじゃないかって、同性愛者やフェミニストたちが批判する。「SMなんて男の暴力的な欲望を投影しているだけだ」とか「男の権力を女たちも体現しているだけだ」と言って批判する。女同士でSMをやっていて、暴力的なものが入っていると、反女性的と判断される。女性は暴力的であってはいけないからだ。なんで女性同士でそんなことをやっているのか、という話になる。しかし、誰が、男の真似をしていると判断し、批判できるのか。あまりに単純すぎるのではないか。
オナニーの話もそうで、たとえば男性のために作られたポルノ映画をみて女性が興奮してオナニーしていると、女性が告白するとします。もっと気持ちよくなるにはバイブが必要ですよと言いだす人がいる。すると、それに反対する人がいる。ポルノで興奮するなんて女としておかしいんじゃないか。男の影響を受けすぎている、恥ずかしくはないか、と言って批判する。でもそういう批判は、どこかおかしい。欲望っていうのはいろんな形をとる。そこで男だから、女だからと決めつけるのはおかしいと思うんですね、レズビアンSMという欲望のかたちは、当時のフェミニズムの想像を越えていたわけです。本来フェミニストにとって「あるべき女性のセクシュアリティ」を越えた欲望の在り方が見え隠れしている。そういう意味で、女性のオナニーとレズビアンSMは、共通点もあって、きちんとやりたいなと思った。

トランスセクシュアル・ポリティクス

田中
3つ目は、性転換の手術をして男性が女性になるっていうは今普通にあるけど、実はそれだけでは済まないのではないかという議論があった。私は、いままでトランスジェンダーをテーマで研究をしたいという院生を2人受け入れているし、苦悩や戸惑いという問題を無視できないことは理解しているつもりです。その点をことわったうえで、1986年当時私が関心を持っていたのはトランスジェンダーというよりトランスセクシュアルな欲望の政治性だったことを強調しておきたいと思います。男性が性転換手術をした女性をMale to Femaleつまり MtFと言いますが、男たちが女になって、私たちは同じ女よっていいながら、実は男の欲望で他の女をみているとしたらどうなんでしょうね。もっと単純化して女装になって女性に欲望するというのでもいいかもしれない。

院生
すごい構図ですね。

田中
そういうbeyond imaginationなところが魅かれる。男女同権とかヘテロでない欲望の肯定とかを求めていた主流派フェミニストたちの議論を越えているわけです。多型倒錯ということばがあるけど、そこに政治はない。これら3つのテーマについては、帰国後やろうと決めていたわけです。

代々木作品との出会い

田中
博論審査の後で初めて見たのは『愛の終焉Café Flesh』という、エイズ時代の世界を先取りしていたと言われるハードコアのカルト映画でしたが、ここでも女性のオナニーが重要な意味を成していた。帰国後オナニーについてはすぐに資料を集め研究をはじめます。帰国して民博に勤めていたのですが、昼休みに『ピア』で映画欄をチェックする。自宅にビデオもテレビもなかったので、仕事が終わったらバイクで京橋とか行って3本立ての成人映画を観る。映画欄にオナニーと掲載されているタイトルの映画は片っ端から見るのです。半年間ひたすら観つづけましたね。

院生
最初時間的余裕があったのがよかったんですね。

田中
 かもしれないな。ほとんど残業なしでしたしね。それで代々木忠のオナニー作品を映画館ではじめて見たわけ。昔はビデオで制作・販売していても、ビデオデッキがそんなに普及していたわけではないですから、同時にピンク映画館で上映できるように作りなおしていたんです。キネコ版『ドキュメントオナニーシリーズ』を映画館で観ました。女性のオナニーは、研究の甲斐あって岩波の現代人類学講座に論文を書きます。1997年の夏、ロンドンに短期で滞在していた頃です。ロンドンにいたおかげでたくさん関連文献も読むことができました。最終的には『癒しとイヤラシ  エロスの文化人類学』(注5)にまとまります。
代々木監督作品は、オナニー作品から入り、1990年代初頭までほぼ同時代的に見ています。代々木作品の発表を始めてするのが終了間際の近衛ロンドでした。1993年の2月だったと思います。いつもの狭い部屋が満員で、数本紹介しまし
た。
当時ウィーン大学の学生で日本の性科学の歴史について研究に来ていたサビーネ・フリューシュトゥック(注6)さんも来ていましたが、ビデオが悪かったのか、私の発表に腹を立てたのか、途中で席を立って帰っちゃいました。あとで聞くと、日本のAVの女性は媚びている感じでいやだとか。彼女についてはその後自衛隊の研究をはじめたこともあり、改めて人文研に招聘することになります。菅原さん、大越愛子さん、大浦康介さんらも来てくれていました。ある人からは「フロイトも最初はたいへんだった、君も頑張れ!」みたいな励ましのお言葉をいただきました。
1993年4月からは松田(素二)君のところで非常勤をしますが、そのとき初めて性をテーマに講義をします。代々木監督のビデオ作品なんかも見せましたね。画面は見せずに声だけとかね。大阪市大は大阪の南にありますが、毎週帰りは梅田の阪急東通り(注7)に寄って、中古ビデオを漁り、それをもとにまた講義をする・・・。そんなときもありました。
代々木作品については1993年から96年ころまで大学院生や研究者相手にいろんなところで発表し、いろんな出会いがありました。集中講義なんかでよその大学に行ったら、「夜の特別講義」とかいう感じで代々木について話をしました。すこし期間が空きましたが、2000年4月に民博のゲストトーク「20世紀のエロス、オーガーズム」という企画があって、野村雅一さん(注8)から代々木でなにかやってほしいというお誘いがありました。当時筑摩の編集部にいた藤本由香里さんも参加されていて、彼女を通じてのちに代々木監督に2回会うことになります。ちなみにこのときのトーク+ビデオ上映は民博始まって以来の18歳未満禁止という記念すべきアダルト企画になりました。代々木作品の考察は2007年に論文にしますが、短くしたものが『癒しとイヤラシ』に収められています。代々木監督のビデオや著作は私に大きな影響を与えました。

ルービンとバトラー

田中
 レズビアンSMもまだ考えていますが、こちらは複雑な展開をしていきます。一人は江原さんがゼミで発表していたゲイル・ルービンGayle Rubin。彼女はレズビアンSMの理論的な実践者ですが、それに反対するのがジュディス・バトラーJudith Butlerという図式がある。ルービンの方がずっと先輩なのかな。パット・カリフィアPat CalifiaもレズビアンSMの実践者として知られていて、日本語でもいくつか読めますよね(注9)。ルービン、バトラー、カリフィア。オナニーと違って思想が入って来るし、ひとりは人類学者でもあるし、まだまだ整理がついていない。レズビアンSMが議論のコアになるのか、クィア人類学へと展開するのか、まだはっきりしていない。
ジュディス・バトラーは、当時のSM論争には触れずルービン自身との出会いについてつぎのように述べています。1979年当時、ルービンは「セックスを考える」の草稿にもとづいて講演を行っていた。あるときルービンは、フーコーの『性の歴史』を片手にもって、ふりまわしながら参加者たちに紹介します。その講演会にはバトラーも参加していて、そのとき初めて『性の歴史』を知ったと述べている(注10)。

院生
動向は追っているんですね。

田中
ちょっとはね。日本にくると(欧米でも同じかもしれませんが)女性のオナニーもレズビアンSMもポルノ化しちゃう。女性同士のシリアスな実践として捉えらなくなる。それ自体が男性の欲望を満たす商品となる。その手の商品はいっぱいありますよね。オナニーやレズビアンSM、女性を愛するTranssexualな男性、She Maleもポルノの定番です。ただし、完全に女性の体になっているのではない。豊胸しているけどペニスがあって、女性と絡む。MtFが女性に欲望するというのは何を意味するのか?これから問題になってくる可能性はあるかもしれない。

風俗の世界

院生
先生はそれやりたいと思っていらっしゃるんですか?気になる?

田中
実は10年ほど前からそういう風俗があるんだよ。お客さんが女装して相手の女性と関係を持つっていう。

院生
男性のお客さんが女装して、風俗の女性と関係をもつということですか?

田中
そうそう。要は、男性は女装するんだけど、欲望の対象は女。むかし、そういう男性を相手にしていた風俗嬢にたまたま会って話を聞いたことがある。そういう風俗はいくつかある。でもこの場合、女装=弱い男性という図式を前提にしている。
こんなふうにエロあるいは欲望を通じてものごとを見るというのは、こういう使い方をすると真正のフェミニストたちに怒られるかもしれませんが、攪乱的subversiveな見方でもあります(注11)。オナニーやレズビアンだけではない。博物館だって、わたしは最初から秘宝館という視点から見ようとしていた。いまやっているセックスワーカーも同じです。できあいの図式を当てはめていては、対象も見えないし、あたらしい対象もみつけることはできない。ほかにもsubversiveな視点はあると思いますが、わたしの視点はほぼエロにつきますね。これに反発する人もいれば、共感をもつ人もいる。とはいえ、エロはエロで通俗的で、個人的にあわないところも多いです。ホモソーシャルな世界のエロは、わたしにとってsubversiveなエロではまったくないということを強調しておきたいと思います。

第5回へ続く

注1:オックスフォード大学教授、主著はWords and Processes in Mambila Kinship: The Theoretical Importance of the Complexity of Everyday Life, Lanham, Maryland: Lexington Books,2005.
注2:ロンドン大学教授、今日のmaterial culture研究の興隆を引き起こした立役者の一人。消費文化研究の先駆者。スシラのお父さんがケンブリッジの考古学者だったこともあり、やはり当時考古学を専攻していたミラーをよく知っていたようだ。かれの最初の書物は中部インドの壺師たちである。Artefacts as Categories: A Study of Ceramic Variability in Central India, Cambridge: Cambridge University Press, 1985.
注3:”The Bonds of Love: Relational Violence and Erotic Domination.”Feminist Studies 6:144-174.1985.
注4:SAMOIS What Color is Your Handkerchief: A Lesbian S/M Sexuality, Reader. Berkeley: SAMOIS, 1979ならびにSAMOIS Coming to Power: Writings and Graphics on Lesbian S/M. Boston: Alyson, 1983.
注5:『癒しとイヤラシ エロスの文化人類学』2010、筑摩書房
注6:カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校教授、主著に『不安な兵士たち ~ニッポン自衛隊研究』(花田知恵訳)、2008.Colonizing Sex: Sexology and Social Control in Modern Japan. Berkeley: University of California Press, 2003.
注7:昔高校時代にシネラマで『2001年宇宙の旅』を観たOS劇場の裏手から南に延びているアーケード街、国道を超えたあたりから中古ビデオ屋や大人のおもちゃ屋など風俗度が高まる。当時の私にとって重要な情報源でした。
注8:国立民族学博物館名誉教授、主著に『身ぶりとしぐさの人類学――身体がしめす社会の記憶』(中公新書) 1996.
注9:『パブリック・セックス―挑発するラディカルな性』(東 玲子)原書房、1998、『セックス・チェンジズ―トランスジェンダーの政治学』(石倉 由, 吉池祥子訳)、作品社、2005.
注10:Genders6(2-3):62-99、1994。バトラーによるルービンのインタビューSexual Trafficより(翻訳は「性の交易」『現代思想』1997年12月号)。
ルービン:I was really, just totally hot for that book.(『性の歴史1』のこと)
バトラー:Yes, you made me hot for it too…(笑) [p.72]
その数年後、同じ「運命」がルービン自身に待ち受けています。クィア人類学の先駆者で、『ジェンダー・トラブル』のクライマックスを飾るドラァグ・クィーン論Mother Camp: Female Impersonators in Americaの著者、ニュートン(Esther Newton)が自伝的な著作Margaret Mead Made me Gay: Personal Essays, Public Ideasこんなことを言っています。
「バーナード会議の準備委員会でのことだけど、あるときアン・スニトウがやってきたのをよくおぼえているわ。ゲイル・ルービンの論文「セックスを考える」の原稿を手でふりながら、彼女はこう叫んだの。「わたしはいま革命的な成果を手にしている。この論文を読んだら、わたしたちはセックスをいままでと同じようには考えなくなるのよ!」[pp.272-273]
こんなふうにして思想は身体化して受け継がれていくわけです。
注11:ここで意識していたのは、Susan Rubin Suleimanの著書Subversive Intent: Gender, Politics, and the Avant-Gardeである。