田中第6回雑食的であることと大きな問題意識

第6回目は「雑食的であることと大きな問題意識」というタイトルでお届けします。今回は、田中先生が国立民族学博物館から京都大学人文科学研究所に移られた後に組織した数々の共同研究についてお話いただきました。
*このインタビュー記事は、書きおこし原稿をもとに、院生とホームページ担当者が編集しました。事実関係については先生に確認していただきましたが、タイトル、構成などは担当者の責任のもとに編集しています。

(インタビュー第5回へ

フェティシズム研究会まで

院生
民博(国立民族学博物館)から京大に移られ、「儀礼的暴力の研究」、や「ミクロ人類学」以外にもたくさんの共同研究を組織されていますよね。「フェティシズム研究」、「複数文化接触領域の(コンタクト・ゾーン)の人文学」、そして現在進行形の研究会としては「トラウマ研究(注1)」 など。代表者ではないですが、「植民地主義と人類学」や「ポルノグラフィー研究会」というのもありました。民博では「女神研究」もされています。その経緯について教えていただけますか?

田中
はい、女神研究会のほうは宗教学にシフトして、宗教学関係の女性研究者に何人か入ってもらった。女神の研究会は、民博の客員助教授になったのを受けて始めた研究会で、時期的にはすでに京都で始めていた「儀礼的暴力の研究」と重なっています。大越愛子、松村和男、川村邦光など、メンバーも重なっています。女神については、個人研究を始めていて、科研もとっていましたが、それを共同研究という形でやろうというわけです。ゲストスピーカも何人か来てもらいました。
研究会が終了してからも女神の会とかいう名称で何度か会いました。最初の集まりは宇和島でした。理由は、そこのすばらしい秘宝館があるからです。わたしは、結局3回同じ秘宝館に通います。一回は民博のプロジェクトで、もう一回はキンゼィ研究所の学芸員の方を招聘し、連れて行きました。
女神の研究会のテーマはフェミニズムと宗教です。かなり早い時期に問題提起ができたと思います。文化人類学分野では河西(瑛里子)さんが現代ヨーロッパの女神崇拝に取り組んでいます。研究会は年に5回くらいでしたが、出席率はたいへん高かったです。成果は、平凡社から『女神 聖と性の人類学』として出版されます。
この研究会の懇親会ではじめてわたしは飛田新地に行きました。それ以来毎年通っています。もと遊郭の鯛よし百番では昼間にゼミをして夜打ち上げ、というようなことも何度かしています。マイケル・オハンロン(Michael O’Hanlon、注2)やジョナサン・スペンサー(第1回インタビュー、注17)ら外国からの著名な研究者も連れて行きました。最近『最後の遊郭 飛田』という本が出ました。著者は10年以上通って調査をしたということですが、私の場合20年くらい通っているわけです。ただ、調査をする、というところまではいかなかった。一度だけ、ある社会学者と店から出てきた若いお客さんに突撃インタビューをしました。なんでソープに行かないのか(ソープと違ってこちらの女性は肌が荒れていない)、すごく時間が短いけど(20分、16000円)服はおたがい全部脱ぐのか(はい脱ぎます)などといった基本的な質問をしながら、帰りを急ぐお客さんにつきまとって聞いていくわけです。向こうは向こうで、わたしたちを危ない人だと思っていたそうで、すなおに答えてくれました。
「植民地主義と人類学」は山路先生が組織した研究会で、私がサポート役でした。ミクロのあとはフェティシズムを取り上げました。フェティズムはモノについて何かできないかというのがあった。

院生
『人類学の誘惑』には、ずっと主体とか情動とかをやっていたので、その反動でモノをやりたくなったと書かれていましたが・・・・。

田中
 フェティズムは、狭い意味での心理的なものや性的なものではなくて、できれば博物館とか、いまのマテリアル・カルチャーのところまで見極めながらまとめたいなと思っていた。まだ出ていませんが、第2、第3巻と続けることで、いまの物質文化研究にまで拡大している。第2巻は宗教的な呪物から、博物館とかコレクションの話。第3巻は身体で、ファッションとか衣服、アニメとかもっとヴァーチャルな世界を取り扱っています。
フェティズムは勉強になったというか、鍛えられた。理論的なところでね、どう議論すれば新しいことを言えるのか考えました。フロイトなんかも久しぶりに読み直して、かなり大胆なことが言えたのではないかと思っています。一方で人類学的なモノ研究をフェティシズムの視点から捉えなおしたかった。直球勝負でモノ研究をやりたいという人はたくさんいます。しかし、わたしは。モノをすこしエロから考えてみたらどうだろうか、と考えました。エロというよりは欲望と考えたほうがいいかもしれません。それがフェティシズム研究になるわけです。博物館とかでも、前回述べましたが、私の場合は博物館論を横目で見ながら秘宝館に魅かれていく。新しいことをすると同時に、すこしずらしてアプローチする、というのが私のスタイルかもしれません。ただ、直球勝負もたくさんしていますけどね。
フェティシズム第1巻では苦労して序論を書きました。第2巻では秘宝館、第3巻では下着について書きます。秘宝館については、可能な限り北海道から別府や佐賀あたりまでいろいろと見てきています。簡単にまとめることができないのがつらいところですが、モノの展示、セックスとレジャーとの関係、衰退から見えてくる男性中心的な観光の変化など1970年代からの日本を考えるうえでたいへん参考になりました。秘宝館については、人・環出身で東大の大学院に移られた妙木忍さん(注3)が精力的に研究をされています。
下着については試行錯誤してきましたが、そろそろまとまりつつあります。エロ小説の下着についての描写をデータベース化しようと思い、大量のエロ小説文庫を買いました。やすい値段で売っている古本屋では、いつも棚2段くらい大人買いしていました。200冊くらい購入しました。似たようなタイトルが多いので重複チェックもめんどうですが、思ったより重複はなかったです。

「フィールドなきフィールドワークの時代」

院生
先生の研究成果のHPをみると、90年代になると具体的な資料分析というより性やジェンダーや人類学一般の論文が増えてきますね。

田中
データから理論へ、ってこと?最近でも交叉イトコ婚の論文とか書いているけど・・・。

院生
だけど交叉イトコ婚の論文も昔の長期調査のデータをもとにしていますよね。

田中
 そうですね。いくつか理由が考えられます。ひとつはレビュー的な論文、もうひとつは、観察に基づくデータというより、インタビューのデータが中心になっている論文が多くなった。スリランカだったら、同じ場所にいて何でもみて調査していた。インドにしても、制限はあったけど同じだよね。毎年同じところに行って祭りについて調べてきた。でも、そのあとの米軍基地の調査あたりからインタビュー中心に変わってきた。
どうしてインタビュー中心になるのかというと、3つ理由がある。ひとつは、フィールドワークの対象が場所に関係なくなっているということが指摘できる。「フィールドなき時代のフィールドワーク」という視点が今必要です。もうひとつは、これは研究者側の問題ですが、長期での住み込みができなくなっているから、どうしても聞き取りが中心になってしまう。これは反省すべき点です。さらに言えば、人生とかライフストーリーのようなものに関心が移ってきている。

院生
フィールドなきフィールドワークということばはコンタクト・ゾーンあたりから全面に出てくるキーワードですか?

田中
現代は特定の場所に結びつく人や集団あるいは文化が非常に流動的になってきていますよね。国際結婚や痛みの研究とかやっているような人は、もともと文化人類学のテーマとしてはうまくいかなかった。そもそも場所を想定しにくいよね。でも無視できない。むしろ人類学が変わる必要があります。時代の変化や文化人類学自体の理論的関心の変化にどう対処していくのかというのは私たちが直面している大きな課題です。そのためにコンタクト・ゾーンみたいなキーワードで議論できればいいなと思いました。それで2006年から4年間コンタクト・ゾーンに関する研究会を行ったわけです。
コンタクト・ゾーンの研究会では、プラットが提唱していたコンタクト・ゾーンという概念を拡大解釈して、人類学者と現地の人びとが出会う場であるフィールドをもコンタクト・ゾーンととらえました。こうすることでポストコロニアルな研究から生まれた概念をより人類学に近いものへと修正したのです。コンタクト・ゾーンという概念に、よりアクチュアルな意味が付与されることになったと思います。これに連動する形で『コンタクト・ゾーン』誌を5号公刊した。この編集を通じていろんな研究に出会うことができました。

 コンタクト・ゾーン1号』

『コンタクト・ゾーン』に加えて『コンタクト・ゾーンの人文学』(1〜4巻)も刊行されている。

トラウマ研へ

院生
そのあとがトラウマ研ですか?

田中
 在日米軍の問題や戦争の問題をもうすこし深く考えたかったのです。わたしたちには見えにくいけど、イラクに派遣される米兵たちが三沢とかにたくさんいるわけです。わたしが会った人の中に米兵と結婚している女性がいたんだけど、旦那さんがイラク派兵から帰って来たのはいいけど、夜中に叫んだりして大変だったという話を伺いました。それでもう故国に帰るって言って帰ってしまった。でも彼女はついていかなかったわけです。こういう話を聞くと、ニュース番組や新聞記事からは見えてこないことがたくさんあることが分かります。イラクの話は日本と関係ないと思っていても、そうではない。戦争や軍隊のネガティブな側面を考える場合、トラウマは無視できないと思いました。

院生
トラウマ研は米軍の方の関心からきているんですね。私はてっきり高校時代に関心のあった精神分析とかの話から来ているのかと思っていました。

田中
それよりは軍隊とか戦争かな。もう一つ関係があるとしたら痛みへの関心ですか。民博を辞めて1990年くらいに大阪府の事業で外国の研究者を呼んでシンポジウムをやるという企画があった。その時に僕と井狩(彌介)(注4)さんでヴィーナ・ダース(Veena Das、注5)を日本に招聘した。パリ―と親しかったということもあってかれに紹介してもらいましたが、すごく感じのいいインド人研究者でした。ずっとインドにいるのかと思っていましたが、今はジョンズ・ホプキンズ大学に移ってしまい、少し残念です。彼女には、国連大学のプロジェクト(注6)にも参加してもらい、日本には3回ほど来てもらっています。それが縁で、彼女の学生の博士論文の審査をしたり、彼女の編集するThe Oxford India Companion to Sociology and Social Anthropologyに書かせてもらったりしました。彼女のテーマがまた苦しみとか痛みとかでしたね。最近みすず書房から翻訳も出ています(注7)。
それから、読んだきっかけは忘れましたがScarryのThe Body in Pain: Making and Unmaking of the Wroldの議論がずっと頭の隅にありました。この本の英語は超難解で、人文研の助教の試験にも出しました。お気に入りの本のひとつです。この本の議論を念頭に置きながら、先に話が出てきた岩波の現代文化人類学講座の論文「世界を構築するエロス」を書きました。この論文のタイトルはスカリーの本のサブタイトルに由来しています。エロの視点からスカリーを読み直した。
こういった関心からキーワードとしてはトラウマがいいかなと考えたわけです。苦しみや痛みでもいいけど、トラウマはある意味で一般に定着しつつあった言葉ですし、それでやってみようかと思った。でも本当に思いつきですね。ずっと考えていたってわけじゃないのです。トラウマについても、よく調べてみると神戸の震災なんかの後に人文学関係の本がいくつか出ています。でも精神分析にはもともと関心があったから、これを機会に精神分析や精神医学を専門にしている人たちに積極的に共同研究に関わってもらおうと思った。

院生
そう言えば、いままでの共同研究ではあまり精神分析の人は入っていませんよね。

田中
そうですね。

院生
だけど、これまでの共同研究で文化人類学にしぼったものは逆にないのではないですか?

田中
ミクロとかはわりと人類学ですね。あれも最初は主体・身体・情動構築の・・・という名前だけど。『ミクロ人類学の実践』に書いているのは富山(一郎)さんを除くとだいたい人類学者ですね。

院生
共同研究のテーマから見ると、とても精力的にさまざまな分野でのご研究をされているようにみえますが、その点については意識的に取り組まれてこられたのでしょうか?

田中
 人類学の魅力は何でもできるということです。宗教学では宗教しかできない。何でもできるというと、雑食的になってしまいがちだけど、それに歯止めをかけるのが、フィールドワークという方法と大きな問題意識だといえます。たとえば、福井先生だったら「人間と自然」。菅原先生だったら「コミュニケーション」とか「身体化」、私の場合だったら「個人と社会」。こういう大きな問題意識を持っていれば雑食的であっても問題を感じない。まぁいろいろやっていても、やっぱり自分なりの問題意識をもっておかないといけないということになると思います。

院生
なるほど。バラバラな興味関心というわけではなく、根底には共通のテーマが存在していたんですね。

田中
はい、より具体的にはすでに述べたアルチュセールに始まる主体化の問題が共通する課題です。これは儀礼的暴力、ミクロ人類学のもとになる「主体・身体・情動」、フェティシズム、トラウマといった研究会の流れです。一見関係のないかに見える、女神、植民地主義と人類学、コンタクト・ゾーンなどでも主体化の問題は共通しています。たとえば女神も当然女性の主体化に関わってきます。
もうひとつ述べておきたいことがあります。いろんなことをするのは、私にとって自由の実践でもあるということです。雑食的であるということは同時に他者の(雑食の)自由をも認める態度につながると思っています。すこしくらい専門でなくても、ほかの人が組織する研究会にも積極的に飛び込んでいくというのも同じ。雑食する自由あるいは「自己分裂」する自由。その中には、「全体化の拒否」のところで触れたように、他者を理解する=所有する「幸せな経験」の否定も含まれている。自己否定も含めての自己分裂・自己断片化する自由。そんな自由も許してくれるのが人類学のいいところではないでしょうか。「軍隊なんてアホか!」とか「なにがエロスや!」という罵声も人文研の建物のすぐ近くから聞こえてはきますが、わたしへの応援歌だと思っています。

インタビュー第7回へつづく

注1:正式名称は「トラウマ経験と記憶の組織化をめぐる領域横断的研究――物語からモニュメントまで」。
注2:ニューギニア研究者。妹のRosalind O’Hanlonはインド史の研究者。
注3:主著に『女性同士の争いはなぜ起こるのか 主婦論争の誕生と終焉』(青土社 2009年)
注4:国立民族学博物館助教授を経て、当時京都大学人文科学研究所教授。専門はインド古典学。
注5:インド人類学の重鎮M.N.シュリーニヴァースのもとで人類学を学び、アンドレ・バタイユとともにデリー・スクール・オブ・エコノミクス(デリー大学)において社会人類学の黄金期を築いた。主要著作にStructure and Cognition, Oxford University Press. 1977、Life and Words: Violence and the Descent into the Ordinary, California University Press, 2006などがある。なお、ダースらが参加した会議の記録は、井狩・田中共編で『ひと・文化・インド──第二回大阪・アジア文化フォーラム』(清文堂出版、1993年)にまとめられている。
注6:その成果は山折哲雄編『アジアの環境・文明・人間』(法蔵館 1998年)にまとめられている。
注7:『他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る』みすず書房。